人生は「邂逅の記」と見つけたり、、、

 2014年4月6日に閉館した交通科学博物館   
 2014年4月6日に閉館した交通科学博物館   

〜はじめに〜

 

 昔と違って今の時代は人生80年・・。

人の一生を4コマ漫画に例えるとすれば丁度、20年ごとに「起・承・転・結」と区切る事ができます。

そうすると、我が人生は4コマ目に入ったという事になるのでしょうか。

 これからは、人生を振り返りつつ、これまでのまとめをしてゆく時期だとも言えるのでしょうか。

 それでは、このブログで「自らの来し方行く末を綴る」とするならば、何を、どう書けば良いのか思案する所です。

 

 何をテーマに、どんな視点から振り返り、「結語」に向かって歩んでいけば良いのだろうか・・。

そんな事を考え始めていた、丁度、その頃です。 

 平成24年4月6日、昭和 37 年開館以来、52年にわたって活動してきた「交通科学博物館」が閉館したのです。

 

 私は、昭和 43 年(1968 年)に、同館の運営を国鉄(当時)から受託されていた某財団の職員として就職し、同館(当時は交通科学館)展示課学芸員として、約20年間に亘り勤務してきました。

 

 もともと、学生の頃にユネスコ活動をしていたという経緯があり、ユネスコと関係の深い博物館の世界に身を投じたという事でもあります。

 

 就職1年目のある時、その後小学校の先生になられた先輩が、「君は、まだ素人同然。一 般の来館者と同じ目線で科学館を見ているのだから、気付いた事をメモしておくと良い。」というアドバイスをいただいた事がありました。

 

 その言葉に促されるように、毎年、春になるとそのメモを読み返し、疑問が解決した項目は抹消し、新たな疑問を新しいノートに書き足していきました。

 こうして毎年更新されてゆくノートに記された疑問点がそれからの私の課題になりました。

 

 ミュー ジアムとは何か、

交通科学館(当時)の行く末は?

展示とは?

学芸員のあり方は?

等々・・・。

常に、私の頭の中で問いかけ続けられていました。

 

あれから既に数十年・・・。

 

 こうした同館でのミュージアム活動は、私にとっての社会への第一歩であり、(承)に相当する青年期の多感な時期。

私自身のものの見方・考え方、 あるいは、価値観等の基底を築く上で、大きく寄与した経験の数々でした。

 

 在職中もそうでしたが、学芸員としての職を辞した後、コンサルタントとして外部からのミュージアムとの関わりや、業務を通した様々な企画・プロデュース等の経験は、私なりのミュージアム像を浮かび上がらせる期間でもありました。

 

 このブログでは、そんなミュージアム活動を通した人々や物事との出会い、そこから気付かされ、あるいは学んだあれこれを書いていこうと思っています。

 

 出来れば、後に続く人達に何らかのアイデアの提供やヒントになれば良いし、それらが、我が人生の主題の一つ、自分なりのミュージアム論にまとまれば、なおさら喜ばしい・・・。

 

 そこで、ブログのタイトルは、ミュージアム活動から生まれた様々な「出会い」という意味で、 「ミュージアム邂逅記」としようと思います。

 

 この先、どんな「邂逅記」のあれこれが生まれるのか・・・。

まずは、「私のブログ事始め」から綴り始める事にしましょう。

 

写真説明/

昭和37年、大阪環状線の全線開通記念事業として、弁天町駅の高架下を利用して国鉄により開設された。当時、東京の交通博物館の姉妹館として、近代化されつつあった我が国の鉄道技術の紹介を基本コンセプトに「科学館」という名称が用いられた。