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Action No.3
大原・勝林院・宝泉院及び三千院門跡ほかの風景画の制作:102 点
昨年、フランスのルルドに於いて松井画伯の個展が開かれており、その際、ルルドの某病院の入院患者にエールを送るという意味で、患者数と同じ51点の水彩画を描かれていますが、 Action No.2 の下見の為にご当地を松井画伯が訪問の際、開催されていた=ライトアップ 秋の夜灯り 大原勝林院 宝泉院=を前夜に観覧され、「大原・勝林院は正に隠された聖地ルルドに勝るとも劣らない」と言う言葉を残されています。
その折、ルルドで制作した51点の作品に合わせて、勝林院と宝泉院を対象として、ルルドとともに松井画伯の「聖地シリーズ」に位置づけられた51点の水彩画を描くと言う事が決まりました。
大原・勝林院と言えば、天台宗の大原魚山流声明道場であり、法然上人の大原問答の旧跡としても名高く、隠れた聖地と言われています。
今回、松井画伯は、正面の本堂をご覧になり、境内に一歩足を踏み入れた瞬間に、「ここは聖地である」と感じられたようです。
また、後日、周辺の寺院を参拝された時、三千院門跡や実光院、浄蓮華院等、大原地区の美しさに心を奪われ、「よし,この隠された美しさをキャンバスに留めよう」という思いが沸き上がり、聖地シリーズと同じ51点の風景画を描く事になりました。
松井画伯によって、聖地・大原勝林院・宝泉院の51点と、他の大原地区を描かれる51点との合計102点の風景画が、どのような姿になって私達の目の前に現れるのか、楽しみでもあり、景勝地・観光地としての大原地区が、松井画伯の芸術によって新たな文化的価値が付加されます。
これまでに気付かれる事の少なかった大原地区の芸術的側面を際立たせる事となり、大原地区全体の魅力が増大し、訪れる人々を魅了するだろうと期待されています。
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Action No.3 その1ー 実光院にて
大原・勝林院・宝泉院及び三千院門跡ほかの風景画の制作:102 点
松井画伯が新しくプロジェクトを始める時には、いつも新しい絵具を買い揃えて使います。
今回の 京都 Actionでも、ロベールが世界中から最高の絵具を選んで取り揃えました。
その絵具の開封作業を、去る5月9日、大原の実光院・天納住職立ち会いのもとに行ないました。絵具やパレットも全て新しいものです。
画像にある面相筆も特注のもの。
1本1万円ほどするらしいです。その模様も記録映像として撮影しました。
絵具を開封すると松井画伯は、早速風景画を描き始めました。庭に植わっていた杉の木の中で、切株から数本出ているうちの1本が、高く伸びている杉の木がありました。
その杉の木を見て、「奇跡の一本松みたいだ」と言いながら鉛筆とパステルや水彩を使って、最初の風景画を描きました。
そうです。あの東日本大震災の後、津波にも流されないで残った「奇跡の一本松」の事です。10mの油彩画にも「奇跡の一本松」というタイトルの絵があります。
余程、心に残っていたのでしょう、実光院のお庭の杉の木をそれに見立てて、慰霊の言葉を話しながら描いていました。
そこで、出来上がった最初の風景画のタイトルは、括弧付きの「奇跡の一本松(杉)」と決まりました。
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Action No.3 その2ー 宝泉院にて
大原・勝林院・宝泉院及び三千院門跡ほかの風景画の制作:102 点
宝泉院での風景画は、樹齢700年と言われている五葉松を育てた大地のエネルギーとともに藤井住職の顔を描いています。
タイトルは、「宝泉院ー藤井住職」。
鉛筆やパステル、水彩などを使い、時には指先で絵具を延ばす様にして描いていました。描きはじめから終了するまでの一部始終を、ここでも記録映像として同時収録しました。
これまで、画伯の風景画と言えば、コルシカの風景であっても、浮世絵の様な趣のある画風でしたが、この五葉松のエネルギーを感じてからは、抽象画の要素が加わり、全く新しい松井守男の風景画が出来上がっています。
この傾向は、ここでご紹介している五葉の松と住職とを描いた今回の風景画が最初であり、その後描いた風景画は、より多くの抽象的要素が加わり、画伯独自の風景画の画風が出来上がりつつあるようです。
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Action No.3 その3 ー 勝林院にて
大原・勝林院・宝泉院及び三千院門跡ほかの風景画の制作:102 点
松井画伯が初めて勝林院を訪れた時、春の夜灯りで照らされた本堂に立って「ここは、隠された聖地ですね」と話された事がありました。
当地を訪れる直前に、奇跡が起こると言われているフランスのルルドで51点の風景画を描いていた為、ルルドと同じ聖地であると感じた勝林院と、五葉松の宝泉院とを合わせて風景画を51点制作する事になりましたが、その後、三千院門跡ほかの風景を51点制作する事も決まり、51点×2セットと言う作品数になりました。(この51という数字にも理由がありました。これはまた改めて。)
日数をおいて訪れた画伯は、勝林院の本堂についての色々な画風の作品を描いています。
ここでは、最初に勝林院を描いている画伯の姿と作品をご紹介します。
だんだんと抽象化が進んで行く様子も垣間見る事が出来ますが、勝林院の風景画では、一貫して阿弥陀如来から放たれる光を描こうと、画面と格闘している姿が印象的でした。
後に、宝泉院の襖絵でこの勝林院の光が描かれました。
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Action No.3 その4 ー 上賀茂神社にて
大原・勝林院・宝泉院及び三千院門跡ほかの風景画の制作:102 点
上賀茂神社では、以前、田中宮司のスケッチをご紹介しましたが、ここでは、同じ上賀茂神社の境内に移動して描かれた二点の風景画を、その制作の模様とともにご紹介します。
上賀茂神社の境内に入って描く一点目は、前景に立砂を配し、奥に見える高床の様な土舎を描きました。
境内隅にあった縁台の前に椅子を持ち込んで座ります。
「奥の建物(土舎)が浮いているように見えて面白い」と言いながら描き始めました。
鉛筆や水彩絵具、パステル等を使い、最後には、イーゼルを使いながら仕上げました。
二点目は、楼門です。
夕刻になって描き始めた為、神社の閉門時間が迫って来て、「よし,30分で描き上げるぞ」「時間がないから、ここは、インスピレーションで描く」と言いながら、腰を浮かせた姿勢のままで、きっちりと時間内に描き上げられました。
一点目は、何か男性的な力強いイメージが・・。二点目は、朱色や紅色などでカラフルな色調の中にも、何か、気品の様なものを感じさせ、神社に残る神話に登場してくる玉依姫さまを彷彿とさせるような風景画になっている様に感じました。
描き終わった画伯は、早速その感動をフランスにいるロベールに、スカイプの映像を通して伝えられ、私も、久しぶりに彼との映像を通した対面となりました。
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Action No.3 その5 ー 心眼で描くデッサン「京の風景」
大原・勝林院・宝泉院及び三千院門跡ほかの風景画の制作:102 点
これまで、松井画伯の風景画はあまり公開された事がありません。
「洋画家・松井守男」としては、抽象の世界を描く事が多いのですが、同時に、風景画という具象の世界については、主に水彩で描いてきました。
今回、Morio 京都 Actionの活動を通して、改めて風景画に真正面から取り組むうちに、その風景画の表現に微妙な変化が現れる様になりました。
世界の画廊業界のリーダー的存在であり、「印象派」を世に発表したと言われているパリの名門画廊「ベルネーム・ジュンヌ画廊(1795年創設)」直系の5代目当主は、「モリオは既に風景画でも世界の巨匠になっている」として、油彩画同様に高く評価しています。
現場に行き、対象物をスケッチしたあと、改めて自らの記憶(残像)と心眼で見つめ直し、筆を入れ、完成させていきます。
その風景画が、今回の京都 Action の過程で一段とその美しさと精神性を増し、「Morio の風景画」として彼の画業の中に一ジャンルを確立するまでになっています。
松井さんから画像とともに送られて来たメールには、「日本の具象画の世界の皆さんにも何かを感じ取ってもらえると良いですね」という言葉が添えられていました。
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