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「このままだと、子どもが子どもを殺すようになるよ」・・松井画伯(談)
少し前、元少年Aの手記「絶歌」の出版が話題になりましたが、その元少年Aが犯した事件の数年後の事です。
最初の松井さんとのプロデューサー契約が終わり、8年後の2004年、新たに京都の某社とプロデュース契約をされた時期、私は、京都ノートルダム女子大で講師として博物館学を教えていました。そこにわざわざ、プロデューサーとともに訪ねてくれました。
8年ぶリの再会です。
博物館学の講座にお招きし、講義をしていただいたあと、夕食をご一緒し、宿泊先の宝ケ池プリンスホテルの松井さんの部屋で先の言葉を聞きました。
「桝井さん、このままだと、子どもが子どもを殺すようになるよ。今のような美術の授業内容だと、近いうちにそうなるよ。」
私は元少年Aの事件を思い浮かべながら応えました。
「松井さん、日本は、既にそうなっていますよ。」
松井さんの話だと、新しいプロデューサーの案内で京都市内の小・中学校を訪ね、美術の授業参観をしてそう感じたと言うのです。
あの忌まわしい神戸市の小学校などで起きた元少年Aの事件は、松井さんがどなたともプロデューサー契約をしていない8年間の間に起きた事件です。それを、学校での授業参観をして即座に感じ取っています。
さすがに松井さんの感性の鋭さと、卓抜な経験から会得された本質を摑み取る能力のすごさに驚かされました。
これらの事象は、日本の美術教育の指導者と教科内容に問題がありそうだとも言います。(この問題は改めて)
続けて松井さんは
「是非、私の絵を子どもたちに見せてあげてほしい。きっと、子どもたちの魂の救いになるから、、、、。」
と言いました。
そんなわが国の美術教育に内在している問題点や芸術行為そのものの持つ特性などを聞き、それでは、と企画したのが画像にある上賀茂神社の庁屋(ちょうのや・重要文化財)を会場にして開催した松井さんの作品展です。
同時に松井さんから次の言葉も聞きました。
「21世紀の芸術は、すべからく魂の癒しでなければならない。20世紀は戦争や争いの世紀だったから、21世紀は和解の世紀にしないといけない。 傷ついた魂を癒す役割を芸術が果たさなければならないんです。」
そこで、上賀茂神社での松井守男絵画展のサブタイトルを
『魂の和解と融合 ~新たなネットワーク社会の実現に受けて~ 』
としました。
松井さんが仰った言葉から、芸術行為が人間の意識に何らかの影響を及ぼしているという事が想起されますが、そのことは反対に好い影響をもたらすという事をも意味しているでしょうし、魂を癒す事も出来るという事ではないでしょうか。
人間の意識機能の持つ構造的な特性を研究している友人が、松井さんの絵画を「意の顕われ」と評してくれたことがあります。
正しく松井さん自身の魂が意図している内実そのものが絵画になっていると言えそうです。
また、宗教学者の山折哲雄先生が2000年7月、奈良県天河神社での役行者御遠忌1300年記念講演の中で、西行法師の人生や文学に触れながら次のようにお話しされています。
「宗教の世界と芸術・文学の世界は同じなんですよ。僕は良く言うんです。宗教の最高の形は芸術である。そして芸術の最高の姿は宗教であるとね。宗教は宗教、芸術は芸術と分けたところに大きな間違いがある。そこから芸術が非常に精神性のない薄っぺらいものになってしまった。・・・・」(同・講演録より)
私には、松井さんの先の言葉が山折先生のこの言葉に重なって聞こえます。
美術の世界だけではなく、音楽や舞踊等も同じ範疇で捉える事が出来そうですが、今一度、学校教育や現今の芸術行為を見直してみる必要を感じています。
これまで、あまりにも理性の教育が克ちすぎていた為に、学びの本質が形骸化され、私たちの精神に届かなくなってしまったのではないでしょうか。
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