〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
7、図録をめぐる論評二題ー学芸員と僧侶
図録をめぐる論評二題 ー 学芸員と僧侶
この黄色い表紙の図録は、印象派の絵画を世に出したフランス・パリのベルネーム・ジュンヌ画廊が初めて出版した松井画伯の図録です。画伯が世に出るキッカケになった「遺言」や「マリアーキリスト三部作」など、画伯を代表する数々の作品が紹介されています。
十数年前のある時、この図録を二冊携えて某県立美術館を訪れました。
その県立美術館は、松井さんのような抽象画がコレクションされているとともに、収蔵されている作品を制作した画家さんが、県内に住まわれている自治体の美術館です。
ここなら、松井さんの図録二冊を寄贈するには相応しいと判断し、この県立美術館を訪れました。
窓口でその旨をお話しすると、係りの方が館内電話で学芸員の部屋に連絡をして下さり、早速、お会いしていただく事になりました。
通された応接室でしばらくお待ちしていると、30代半ばと思われる二人の学芸員の方が来られました。
挨拶もそこそこに、自己紹介をして寄贈させていただく旨松井画伯の説明をした後、私からお二人の学芸員の方に「この図録にある松井画伯の作品をどのように評価されますか」と言う事をお聞きしました。
すると、一人の学芸員の方が、隣の同僚学芸員の顔を見ながら「この図録を拝見させていただくと、経歴も立派ですし、色々と展覧会も開催されておられますね。」という返事。
少し間を置いてから「でも、私達は、このような絵を教えてもらった事がありませんので、評価する事が出来ません。」と言われました。
美術館の学芸員が作品の評価を出来ないという予想もしなかった言葉です。
正直ショックでした。
美術館の学芸員と言う職能を自らが否定するような回答です。
一部でしょうが、これが、わが国の県立美術館学芸員の、その時の現実です。
また、ある時、松井画伯とマネージャーのロベールと私の三人で北陸の粟津温泉・法師旅館で一泊して温泉を堪能した後、車で1時間程のところにある福井県・朝日町の天台宗の「大谷寺(おおたんじ)」を訪れました。
このお寺は、「越の大徳」と呼ばれているものの、歴史には登場しない「泰澄大師」が、幼少の頃から修行に励み、その後、この地でご遷化されたというお寺です。
ご住職も17歳の時にこの寺に入られ、その後、修行を積み、一時期、大阪の四天王寺に移り、四天王寺を再興されたと言う西山住職が守っておられます。
私は、かれこれ、二十年近く親しくさせていただいており、時には夜遅くまで話し込んでしまい、本殿で寝かせていただいた事が幾度もありました。
このお寺に松井画伯とロベールを案内した時の話です。
挨拶の後、奥に通され、掘ごたつを囲んで西山住職に松井さんのご紹介をしてから、この図録を住職の前に差し出しました。
西山住職は、図録のページをめくる事なく、表紙をご覧になってひと言、「このお方(松井画伯の事)は、毎日、生き死にを何度も繰り返して描いておられる。」
つまり、あの世とこの世を行き来しながら描いていると住職は評価され、その言葉を聞いた松井さんは「そうです、そうなんです」と驚いた表情をしながら、小さな消え入るような声で言葉にされました。
西山住職は、松井芸術の隠された秘密を一瞬のうちに見抜いてしまわれています。
さすが、名僧です。さすが、画伯です。
如何でしょうか。
ある意味では美術の研究者である学芸員は「私達には評価できない」と言い、宗教家は、一瞬のうちに目の前の芸術を看破してしまいました。
以上、<図録をめぐる論評二題 ー 学芸員と僧侶>でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜